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コミュニケーション


 人の価値観もかわり、人と人とのコミュニケーションの取り方も変わりましたよね。昔は、面と向かって話をすることが当たり前で(私が子供の頃でも)、子供同士でも喧嘩はしたけど、相手の言い分と自分の言い分と、話を直接することでプロセスも理由もその場でお互いに伝えるチャンスがありました。自分とは違う価値観の人でも、納得するしないは別として、一方通行ではない分議論する場もあったんですね。
 今は一方通行になることが多く相手の言い分を聞いてからの行動が難しく、いろいろな事柄の裏側がみにくいため、誤解も生まれやすい。時々世界は広がったけど、窮屈でもあるなと思います。情報を情報として受け取れず、RPGのように自分がその相手の世界に入ってしまう状態になりやすいですね。でも、実際直接話しをするわけではないから、自分の考えの中でもんもんとし続けてしまう。どんな時代にも長所も短所もあるんですけど、なかなか全て良いとこ取りの流れはないですよね。
 すごく考えて注意をして行動したつもりでも、ダメな時はダメで、失敗もありますね。直接お話出来れば対応出来るのにという気持ちだけが残り難しさを実感するとともに、反省をし続けています。物事は、批判のほうが強く表にでやすいので、必ずしもバランスが取れているわけでもないのですが、私はとっても引きずる方なので直接お話しできないままだと辛いことに気が付きました。そういう場合は、やり方を変えていくしかないんですね。最近は、人と人の近さと遠さのバランスが保てないこともあるな~と考えていました。

 先日、バスに乗っていて比較的混んでいる車内で年配の方も多くいらっしゃいました。
そんな中、お話が聞こえてきました。

 「私はいくつだと思います?」
 「え、うーん・・」
 「90と半分なんですよ。」

 多分車内の多くの人が驚かれたと思うんですよ。私は直接見えない位置にいましたが、混んでいる車内で立たれていたし、お話はとってもしっかりされていて・・。戦争中のお話も聞こえてきました。今年は戦後70年でしたので、夏にみた特番のテレビの内容と重なりました。
 そして、バスに揺られながら自分の歳から計算してしまいました。
”95歳まで生きるというと、自分が生まれてから今まで生きてきたよりまだ長くこれから生きていくことになるんだ・・”
 想像がつきません。過去の90年とこれからの90年の変化のスピードが同じだとは思いませんが、科学の進歩も生活の内容もおそろしく変わりますよね。過去の90年で、とくに科学やコンピュータの世界は大正時代の人は考えられないくらい進歩したはずです。
じゃあ、私が95歳まで生きていたらどんな世界になるんだろうと頑張って考えてみましたが、今あるもの以上には思い浮かばず自分の想像力のなさにがっくりきました。

 私が95歳になる時、「情報」の定義ってどうなるのでしょう。
今のネット環境が新しい人のコミュニケーションの定義になってくるとすると、95歳になるころにはどうなるのでしょう。
現在存在しないコミュニケーションの方法ができるのでしょうか。
 それ以前に、わたしがそこまで長生きできるかな。 最近は長生きすれば、嫌な経験も増えていくんだな~とネガティブな思考になることもあります。でも、バスの中の95才の女性は生き生きと元気にお話をされていましたね。すごい。

 
 


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by kidszone_bunkyo | 2015-12-18 18:31 | 子供との日常

東京都文京区にある小学生までの子供たちが学習するスペース。英語、国語算数、自習


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